石川-金沢【尾山神社】和漢洋風の珍しき神門

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尾山神社について

【御祭神】本殿:前田利家・おまつの方
【御神徳】勝負運・縁結び・夫婦円満・ 平癒祈願
【歴史】慶長4年(1599)閏3月3日、利家公が薨去。二代利長公は、利家公を仰ぎ神として祀るため、守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、金沢城の東に卯辰八幡社を建立し、利家公の神霊を合祀。
幕末になると、卯辰八幡社の荒廃が目立つようになり、新たに藩祖を祀る神社を建てる計画がでて、1873年(明治6年)金沢城の金谷出丸の跡地に新たに建立。社号を尾山神社とした。
【場所】石川県金沢市尾山町11-1
(駅から徒歩20分くらい)

尾山神社 神門

尾山神社神門は、棟梁・津田吉之助の設計施工により1875( 明治8年)年11月に完成。 参拝者を増やすため、その当時の最先端の設計で「擬洋風建築」を取り入れました。その中でも、中国風の混入した数少ない例の一つだそうです。各階の肩カーブがかっていて、中国南方の竜宮造り。
最上階には色ガラスがはめられ、建設当時は灯台の役割を果たしていました。
屋根には日本最古の「避雷針」がついています。避雷針は「病気を遠ざける」とも言われ、強いパワーがあるともいわれています。

尾山神社 狛犬

けっこうスタイリッシュな狛犬さん。

なんとなく、お寺みたいな印象も受ける御本殿。

利家公とお松の方について

利家と松は、40年以上を夫婦として生き、男女11人もの子にめぐまれたました。

【前田利家公】
尾張国(愛知県)荒子城主前田利春の次男。安土(あづち)桃山時代の武将、加賀藩初代藩主。
織田信長の家臣で、のちに豊臣秀吉に服属。柴田勝家にかわり北陸最大の大名となる。
五大老となり、徳川家康と肩を並べるほどの実力の持ち主だったが、秀吉死亡後、台頭する家康と反家康派の間にあって両者の協調に努めたが、翌年病死。
【お松のかた】
織田家の弓頭・篠原主計(かずえ)の娘。父が早世したため、4歳のとき叔母である前田家に引き取られる。その叔母の息子が利家。12歳で10歳年上の利家と結婚する。ふたりはいとこ同士。
秀吉と利家があいついで没した後、天下への野心をあらわにした徳川家康は、前田家に牙を剥いたが、まつが人質として江戸へ下った。そのおかげで、前田家は徳川三百年を生きのびることができた。

尾山神社 前田利家 お松の方

おまけ。
尾山神社の神門の第三層には、四面五彩のギヤマンが施され、夜にはライトがともり、昼間とは違った表情を見せてくれます。

尾山神社 ギヤマン 神門
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