【東京十社めぐり】赤坂氷川神社
東京十社のうちの一社、赤坂氷川神社をご紹介。
東京都港区にご鎮座されています。
御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
【スサノオノミコト】
三貴神(さんきしん)の一柱
穢れ・災い・災厄など悪しきことを荒々しい力で祓い清める神さま
【奇稲田姫命】
山の神・大山津見神の子であるアシナヅチ・テナヅチの8番目の末娘で
豊穣を司る神さま
【大己貴命】
大国主命のこと
あらゆる縁結びの神さま
創建
創祀は、天暦5年(951年)東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で、夢に御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまる。
享保15年(1730年)4月、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命で、現在の地に遷された。
現在の社殿はこの時に造営されたもの。
東京大空襲など数々の災禍を奇跡的に免れ、創建当時の姿を現代に伝える。
ご神徳
厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌
氷川神社と出雲の国
氷川神社は、総本社が埼玉県大宮の「武蔵一宮 氷川神社」にありまして
全国に280社ほどあるそうですが
特に東京・埼玉の荒川流域に集中しているとのことです。
武蔵一宮 氷川神社のHPによると
出雲の国のキツキオオヤシロ(杵築大社)つまりは
いまの出雲大社イズモオオヤシロをうつして、氷川神社の神号をたまわった、
そいう伝えもあるそう。
氷川神社は出雲の国と関係が深いのでしょうか。
そういえば、御祭神のスサノオノミコトと奇稲田姫は
出雲に宮殿を構えたと古事記にはありますね…!
日本神話【古事記】スサノオノミコトのエピソード
スサノオノミコトは、
日本神話の古事記に何度も登場し、たくさんのエピソードが書かれています。
”三貴神”生まれたお話~イザナギノミコト・黄泉の国からの生還
スサノオノミコトは、三貴神(さんきしん)の一柱。
三貴神とは、
アマテラスオオミカミ
ツクヨミノミコト
スサノオノミコト
です。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、黄泉の国から生還したときのお話。
イザナギノミコトが、
黄泉の国の穢れを、禊池(みそぎいけ)で洗い流したときに
様々な神々が生まれました。
その禊の最後に生まれたのがこの三柱の神々。
イザナギノミコトが、自らの生んだ神々の中で
「この三柱の神々が最も尊い」
としたので三貴神(さんきしん)と呼ばれます。
八岐の大蛇のお話~スサノオノミコトと奇稲田姫との出会い・和歌の起源
八岐の大蛇の生贄となるところに素盞嗚尊がやってきて、
アシナヅチ・テナヅチに
「娘を私にくれるなら助けましょう」
と約束をしました。
そして、スサノオノミコトはオロチを退治し
クシナダヒメは命を救われました。
そのオロチを退治してオロチの体内から得られた、
「神剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」は、
三種の神器のひとつ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と伝えられています。
そして、スサノオノミコトがオロチを倒したあと
素戔嗚命と奇稲田姫命の2柱の神様は、島根県の出雲に宮殿を構えたといいます。
この際に素盞嗚尊が詠まれた
「八雲立つ(やくもたつ) 出雲八重垣(いづものやえがき)
妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」
は、和歌の起源、つまりは日本最古の和歌とされています。